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無駄な知識とスケールフリーネットワークとイノベーションの関係

文系とか理系とか分類されるのを嫌って生きてきたけれども、最近大規模なプロマネ業務に従事することが多く、「文系です」と自己紹介して防衛線を貼っている自分にモヤモヤして、「文系と理系はなぜ別れたのか」を読んだことを1月に書きました。

fujii.hatenablog.jp

日本における理系優先、実学(工学)優先の歴史的経緯も含めて、とりあえず事実関係としてはわかった。

自分が卒業した学部は教育人間科学部という、教育学部の改組でいわゆる教養系の先生たちが所属していたところで、そこでドイツ人教官に師事してマンガ文化論をやりつつ、隣の位相グラフ理論の先生のゼミ室に潜り込むような生活をしていました。今となっては学科は完全に解体されてしまいましたが、京大の総合人間学部をものすごく小さくしたようなものだったんじゃないかと最近共通点を感じるところがあり、京大の先生の本を読んでみました。

やっぱり似てた。そしてこの本、フラクタル図形の話とかガンガン出てくるので、なんだろう、懐かしい。

この本に書いてあること

  • 京大教養部が解体されて総合人間学部を作ったが、来た学生には「体系的な準備はないから好きにアホなことをやれ」と言ってある
  • イノベーションとはセレンティビティであり、図形的に理解するとすれば、知識の相転移が起きることである
  • カオス理論の理解が進み、自然界の現象の多くはランダム(正規分布的)ではなく、スケールフリーネットワークべき分布的)であることが理解された。
  • スケールフリーネットワークの特徴は「不平等」。インターネットのネットワーク構造も、特定の大きなハブがあったり、ちまちましたネットワークがあったり偏在している(学校の友人関係にも似ている)が、このほうが完全にランダムなネットワークより、(散発的な)障害に強いことがわかった。どこをどう切っても、同じようなネットワークになるから。ただし攻撃には弱い(どこが人気かわかりやすいから)。
  • つまり、スケールフリーネットワークは接続性を保ちやすい構造。他の生物にはできず、人類が協調して動けるのは、スケールフリーネットワークだからなのでは。
  • 知識の体系も、人為的に樹形図的な整理がされているが、実はランダムネットワーク的な知識が求められているのではないか。相互の知識の関係性、応用に気づくような知識が求められている。それを京大では「アホな知識」と表現している。論文数のかさ増しなどでは表現できず、科研費の申請にも通しにくいような「やってみた」的な知識。
  • 実例として、筆者はフラクタル図形を応用した日よけが効率的であることを偶然発見した。
  • 機械学習はロジックではなく経験則で動く世界で、まさに複雑系を背景にしている。従来の知識の体系ではうまく活用できない。
  • 選択と集中、という言葉は誤って使われていると最近指摘されているが、まさにこういった発見を阻害する行為にほかならない。
  • 大学の教養部もそういう目的のためにあったはずだが、存在意義を言語化することが自分たちにできていなかったので解体されてしまった。

まさに僕が大学で「言語化できないけどここにいる価値はたぶんそれだな」と思っていたことが、一周回って言語化された感じ。
学校でプログラミング教育をどれだけやっても(IT土方を量産したいのではなく、論理的思考を磨くんだ、と国は言っているけど)、機械学習は「ロジックで表現できるもの」ではなく、「ロジックでは表現できない、経験則の発見」を行うもの。しかもランダムに探索するのではなく、スケールフリー的な探索をすることで効率化するもの。この根本的な違いが理解されないと、日本人は永久に「優秀な理系は医者かえーあい*1の学者」「優秀な文系は弁護士か役人」っていう配置のまま、効率化されない世界に生きていくんだろうな…。実際には機械学習はより学際的なものだし、逆に役人には工学的な理解がある人が必要な時代なのに。

*1:AIでも機械学習でもない、社会の曖昧な期待値を指してひらがなで書きました