FUJII / Blog

放送、通信、防災を経て官民連携を考えるひと。

石巻をみてきた

f:id:gleam:20120428185024j:plain:rightこの連休、東北に向かっている人も多いと思うのですが、僕も4/28-29の二日間に、突貫で行ってきました。
思い立ったのが1週間前で、宿も電車もまったく取れていない状態で上野駅へ。スマホがなかったら死んでた気がする。
去年の3.11のときには僕はまだラジオ局員で、スタジオの中で必死に東北の状況を追いかけていました。周囲のスタッフは技術支援とか取材とか公開放送とか、頻繁に現地に向かっていたんだけど、僕自身はウェブ担当という立場でもあり、行く機会を失っていました。今はIT企業にいるので、特段業務を帯びているわけでもなく、観光として行ってきたのですが、思うところもいろいろあったので、以下、下手な旅行記といまいちな写真ブログとうさんくさい報道批評のどれでもない感じの文章になることを覚悟しながら、メモ。

なお、文中の写真をふくめ、撮影したものはflickrにCC-BYでアップしているので、企画書とかに使いたい方はどうぞ。
http://www.flickr.com/photos/gleam_df/sets/72157629561444604/

仙台までは新幹線で移動し(行きはタッチの差ではやぶさのチケットがとれず悔しかったので帰りは絶対乗ろうと心に誓った)、仙台で一泊。とりあえず牛たんを食べたり(Twitterで太助分店 http://www.tasukebunten.com/ を教えて頂き、GWなのにガラ空きで悠々堪能してきました)、ベタに青葉城跡に行ったり。

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市内はもう震災の爪痕は感じない状態だなぁ、と思っていたら、青葉城跡はあちこち道がふさがっていたり、鳳凰の塔がまるごと落っこちたりしたまま。駅から青葉城に向かうバスの途中で東北放送本社に通りがかり(仙台の放送局って、送信所の真下に演奏所があるパターンが多いんですね)、この送信所は無事でよかったと思う。ラテ兼営局なので、当時は燃料不足でかなり大変だったと聞くけれども。東京はほとんどの放送局が同じ場所に送信所を持っているので、被災したら大変だな…。スカイツリーに移転しても東京タワーのバックアップ機能としての重要性には変わりない。

カプセルホテルまで満室で宿があまりにも確保できないので、現地のバーに飛び込んで情報収集。いつものカバンだけの軽装だったのだけど、バーテンさんには「仙台のひとじゃないですね?」とすぐ気づかれる。「いや、今日宿がないのはまずいでしょう…」と突っ込まれつつ、去年のことをきくと、「一週間後にはもう営業再開してましたよ、水と電気があればできるので」と。東京で同じ規模の地震があっても、そうできるものなんだろうか。

なんとか確保できたホテルは未だに震災対策を真剣にやっていて、トイレに非常用水が貯め置きしてあったりした。これは東京のホテルも見習うべきかもしれない。

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翌日は早起きして、仙台駅からミヤコーバスで石巻へ。女川まで行ってみたかったけれども、そこまで行ってしまうと日帰りが厳しいので断念。JRはまだ復旧していない区間が多いけれども、平日は大回りして直通電車を出しているらしい。休日は使えない。ミヤコーバスは30分おきぐらいに頻繁にバスを出しているけど、補助席まで使って僕はぎりぎり乗れたものの、5人ほどバス停に積み残された模様。予約制ではないので、GW後半にこれに乗るつもりの人は、なるべく早く乗り場にいたほうがいい。往復1500円。

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石巻駅は駅舎は完全な状態だけど、駅周囲の道の凹凸がすごい。不思議なことに、完全に使用不能になっている建物と、外見上はほぼ無傷の建物が交互に立っていたりして、復興に向けて足並みを揃えることの難しさを感じる。
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駅舎には「ここまで津波がきました」という標識がついていた。このあともこの類の標識はあちこちで目にすることになる。サイボーグ009や仮面ライダーの像があちこちに立っていて、これに導かれながら石ノ森萬画館に向かうことにする。

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そういえば駅前のデパートが撤退後に市に寄付されて、そのまま市役所として活用され始めたのが2010年のことだったらしい。比較的浸水被害の少なかった駅前で、これだけしっかりとしていて規模もある建物が司令塔になったことは、偶然の救いだったんじゃないだろうか。いや、仮面ライダーに守られたのか。

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ラジオ石巻は日曜日だったので残念ながら無人。市役所と目と鼻の先という好立地で、かつ3階にあって浸水を免れたのは良かったと思う。コミュニティFM局って街の活性化に役立てようと、どうしても大通りに面したところに公開スタジオを作りがちなんだけど、津波被害の可能性がある場所では鉄筋コンクリート造のビルの中層階に作らないとだめだな、と痛感する。ラジオ石巻の本が出ているらしいのだが、無人だったので購入できず。

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GWで事務局自体がお休みなので、この期間中は個人のボランティアは受け入れられていないのだけど、自律的に活動できる団体は動いているようで、消防団の人たちが生協の跡地(というか、建物だけが無事で中は完全に被災してがらんどう)で子ども向けのシャボン玉ショーをしていた。延々、その模様がほとんどの店舗があいていない商店街の放送で流れていて、「音声だけなのに様子がさっぱりわかんねえ!」と気になりすぎて見に行ったのだけど、現地の子供達が楽しんでいたので、ちょっと邪魔したくないな、と退散。

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他にも外国人のボランティアチームが個人宅の清掃をしていたり、Peace Boatの人たちが花を植えたり(唐揚げ弁当を食べながら「せぼーん」って言っていたのでフランス人だったのだろうと思う)、5/4-5に開く鯉のぼりのイベントの準備をしているのをみかける。神社の境内でもささやかなお祭りをやっていた。
個人的には本人の純然たる善意でやっていても、パブリシティっぽくなってしまう芸能人の慰問イベントみたいなものは現地の人達にはどういう風に見えているのだろう、とずっと思っていたのだけど、経済活動が止まってしまっている街には、何か祭りがないとコミュニティが維持しにくくなってくるのかもしれないなぁ…と思いつつ。

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石巻駅前の観光センター前で石巻焼きそばをつくっていたので買ってmgmgしていたら、明るいおじさんが「俺ね、今度の仙台のマラソンでも出店やるから来てよー」と仙台から来たカップル(そう、カップルの観光客がすごく多かった)に話してる。mgmgしながら聴いていると、続けて「…俺、これ本業じゃないんだけどさ、他にやることなくなっちゃったからさー」と。mgmg......

中学校の時、修学旅行で広島に行ったけど、語り部さんの広島原爆の話を聴きながら、「毎日毎日、この話を繰り返すことでこの人の心は傷つかないんだろうか、忘れたい気持ちと、忘れられたくない気持ちと、どっちのほうが大きんだろう」という疑問をずっと持っていたのだけど、そういう次元の問題ではなかったのかも。さっき見ていたテレビ番組でも被災地を観光(といっていいのだろうか?)案内している被災者が「継続的に来てもらえるコンテンツを用意しないといけない」とインタビューに答えていて、「コンテンツ」という言葉を使っていることに衝撃を受けた。でも、コンテンツの力で眼差しが集まって状況が改善するのなら、という、こういう自体ならではの割り切り方なのか。このあたりはマスコミの功罪と言える部分ばかりをこれまで気にしていたのだけど、なにかしら「役割」がないと人間は生きていけない、という現実もあったり、余計に複雑な心境になった。

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まんが研究を学生時代にしていたので、わりとあちこちの「マンガでまちおこし」みたいなところには行っていたのだけど、石ノ森萬画館は来る機会がなく、残念ながら被災前の様子を僕はよく知りません。萬の字がここに戻ったら、また来よう。復旧のための予算が市議会でついたとのこと。水産資源のほかに観光資源を育ててきた石巻の戦略は正しかったと思う。

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藤岡弘、さんをはじめ、いろいろとサインが。宮川賢、と読めるサインも隣の柱に。

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萬画館の周囲は金属の手すりや柱も全部ひん曲がってる。津波のパワーって本当に恐ろしい。

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避難所になっていた学校。石碑が立っていた。一階部分はベニヤ板で仮囲いされているのだけど、

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先に復旧したらしい体育館は、選挙の掲示板に使う合板が使われていた。こんな状況で去年選挙が実施されたのは、今思うと本当にわけがわからない。

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テレビでも何度も映された、海沿いから流されてきた巨大タンク。タクシーで観光客をここに案内しているドライバーさんもいた。この周囲の幹線道路は完全復旧していて、タンクだけが中央分離帯にぽつんと残っていました。このすぐ裏はがれき置き場で、莫大な量が野積みになっています。漁業用の網、プラスチックの桶などは整然とすでに分類されて積まれていて、それ以外の発火する可能性のある瓦礫は、ガス抜きのためのパイプが無数に突き刺した状態で山に。どれも限りある私有地で、日常生活のすぐとなり。公共事業としてがれき受け入れを民間企業に委託した形にしてあるみたいだったけど、精神的な負担感は本当に大きいな、と思う。

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漁港の周辺は本当に根こそぎ建物がなくなっていて、ぼくが食事をするつもりだった寿司屋もなくなっていました。そんな中にぽつんと立つ電波塔。携帯電話の中継局とおもわれるけど、きっちり蓄電池もついていて、この一帯をこれで広域カバーして復旧したっぽい。確かに石巻にいる間、一度も携帯の電波は圏外にならなかった。震災直後、海底ケーブルまで切れてしまって東京にいた僕らも一部のサービスが停止したり、少なくない影響を受けたのだけど、その後のとてつもないスピードでの復旧を思い出した。しかしこの周囲がこの街の最も賑わいのある場所だったはずなんだけど、いまは誰もいない。産業と雇用を失った街を、ここにもう一度復活させるには、途方も無い資本が必要だな…。

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ここにも津波到達地点標識。この高さまで津波がくることを想像して避難するのは本当に難しい。

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どうしても石巻では海産物が食べたかったので、竹ノ浦さんで海鮮丼を。うまいです。

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仮設商店街は中小機構が助成しているみたい。駐車場だったところにプレハブテナントを並べて、しっかりとしたトイレもあった(かなりきれい)。日本企業のほとんどは中小企業。復興庁の話題は日々ニュースで見るけど、中小企業庁とか中小機構の話は殆ど目にしない気がする。なんでだろう…?

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バスで仙台に戻る。仙台でもう一度牛たんを食べ(よく考えると牛たんそのものは輸入肉なのでどうして仙台名物なのかよくわからなかったりするのだけど)、ひたすら東北の物を買いまくって新幹線へ。

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帰りははやぶさグランクラスで。JALのクラスJよりもハイグレード、ビジネスクラスまではいかない、ぐらいのシートで、リクライニングはかなり良い感じ。コーヒー飲もうとドヤ顔でVIEWカードの新幹線コーヒー割引券を提示したら、「そちらのクーポンもご利用頂けますが、グランクラスではお飲み物と軽食は無料でご用意しております」といわれる。「そちらもご利用頂けますが…」と前置きしたアテンダントさんの機転でちょっと救われたけど、恥ずかしい思いをした。軽食は和軽食と洋軽食が用意されていて、和のほうは日本酒(これも無料)のアテになりそうなものがいくつか入れてあって良い感じ。コンセントもついているので、ケータイを充電しながら津田マガを読んだり、行けなかったニコニコ超会議のことを調べているうちにあっという間に関東へ。途中駅、大宮しか止まらないからね…。すんごい早い。快適だったんだけど、食事中に「トイレはセンサー式の水洗です、SOSボタンを押しても水は出ません」というアナウンスが何度も流れたのは何だったんだろう…。ほかにも「自由席からグランクラスのご見学はご遠慮ください」とか、ものすごく長い規定文のアナウンスを、たどたどしく読み上げる車掌さんに同情しているうちに東京についた。

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JR東日本の「つなげよう日本」のCM、よかったよね…。



一泊二日でも行ける東北。GW後半に行かれる方、お気をつけて。歩きやすい靴で!